2007-03-28

雑談

 今日はエマニュエル・バッハのシンフォニーの合わせがあるはずだったんだけど、トップを弾いてくれるバロックヴァイオリンの先生が来ず、合わせ中止。予算の問題で合わせ削減されたらしいです。連絡しろよ・・

 ということで5月9日まで合わせ無し。

 この先生、パリの高等音楽院のバロックヴァイオリンの教授で、フランス系の古楽界ではかなりスーパースターな方。でもうさぎっぽくてファニーで良い感じです。

 ヴァイオリニストの良いバージョンの人って、だいたい享楽的でいつもめちゃくちゃ明るい人が多い気がする。
楽器がそういう楽器だからね。良い側面が出るとこういう感じ


 で、合わせがなくなったんでスーパーへ行って食材を買い込んで、うろうろしていたらキレイに満開を迎えた桜が!!
こんなところで満開のお花見を出来るとは思っていなかった。これで今年はお花見ができた!!inリエージュ


 


こないだ行った演奏旅行の帰り道、サービスエリアでゲームを見つけたロシア人のコントラバスのおっちゃんが、急に興奮し出してゲームコーナーの銃を構え、撮影大会。↓



本人超本気です。
で、このあと俺がとった写真を欲しがって、
「オクッテオクッテ!」
「ブルートーゥースブルートゥース!!!」
「ジュシンジュシン!!」

とかってものすごい勢いで俺の携帯を取り上げる。
で送ってあげたら大満足。
「サンドイッチいるか?」
と優しく心使ってくれました。。

この人去年も本番のとくに楽屋に子供のためのお土産の音が鳴るガンのオモチャ買ってきて、
楽屋で鳴らしまくってスゲー楽しそうにしてたんだけど・・

いいなー。こういうロシア人。
学生時代に覚えたロシア語でちょっと話したりした。

やはりいまだにロシアは好きです。
ロシア語も好き。


最近分かったことは、欧米の気取りがどうがんばっても俺には合わないんだなということ。
もとから合わせるつもりもなかったけど、気が付くとついつい合わせてしまってる。

マクドナルドかクイックが食いたい・・
突然のファストフード欲。

今日は休みなんでこの良い天気のもとゆっくり休みマース

2007-03-19

土日干

 
 選集土曜日、クリストフの教えているアカデミーの演奏会で尺八を吹く。
Saint-Hubert(サンチュベール)というかなり田舎の教会で古典本曲「山越」を吹きました。

 教会と尺八、そうとう浮くだろうか・・と思っていたんだけど、かなり意外なことに恐ろしく空気がマッチ。時空感覚がかなりピッタリ来ていました。不思議だね。恐らく、瞑想的な空気感が合っていたんだろうと思うけど。

 というわけでけっこう成功でした。あんな田舎に日本人が来るだけでも珍しいだろうにプラス尺八でかなり珍妙だったろうと思う。

 でもきれいな街でレストランというレストランはどこも新しくてオシャレでキレイで落ち着いている。
鉄道すら入っていない街だからか、常にひっそりとした感じでした。


 終わってから彼の別荘に行って1時過ぎまでけっこう語り合って、「明日は俺はやく帰るよ」といって寝たにもかかわらず起きたら11時!!

 うわ、とか思って下に下りていくと子供たちは朝食食べ終え、俺の起きるのを待っててくれたクリストフだけが食わずに朝食の準備。えらい怒られました。


 そんな感じで駅まで送ってもらって電車で1時間リエージュまで舞い戻った日曜日、家で一休みしてこんどはブリュッセルのアルスムジカで室内楽の先生が指揮をする「月に憑かれたピエロ」を聴きに電車でGO。

 演奏はシャペル・ムジカル・ドゥ・ライン・エリザベートというエリザベート王妃設立のベルギーのエリート学生たちによるもの。チェロは知り合い。

 ブリュッセル着いて会場のボザールへ向かい、チケットインフォに行くと、出ました売り切れ宣言。
おいおい、俺はクタクタな体を押してリエージュからはるばる電車でこのために来たんだぜ、といっても苦笑いのインフォメーションおじさん、「残念なんですがぁ・・こちらとしましてももう持ち合わせがありませんで・・」と高島政信風に断るばかり。

 絶対なんとかなるだろうと思って入り口付近に待機していたら友達登場。
「チケットないの?!わかった、出演者のトモコに聞いてみてあげる」
電話・・
「出ないわね・・しょうがない、来て!」

無理やり入り口に向かう二人。
モ切りのお姉さん
「そちらの方の分のチケットは・・?」
ダメだろう、
と思っていると

友「彼は譜めくりやるはずになってるんですよ」
俺:え?・・

モ切り
「あら、そういうことなのね どうぞー」

すげー機転・・


によって、奇跡的に忍びこんでしまいました。



 んで、演奏は、かなり素晴らしかったです。歌の方とピアノの方が日本人でしたが、頑張ってました。

自分の今やっているシェーンベルクのコンチェルトにも、かなり良いインスピレーションを与えてくれた・・

そして、普通にこの曲はかなり良い曲だな、ということにも気が付きました。これは生で見ないと絶対に分からないと思うけど。

 ドイツ語の持つ美しさってのは、かなり精妙な感じ。憧れるねえ。フランス語もいいとしても、ドイツ語も話せるようになりたいと思うものです。


 そんなドイツ語の精妙な抑揚に思う存分支配されたシェーンベルクの音楽を、もう一度頭の中でリフレッシュさせて取り組もうかな、と思った日でした。

2007-03-16

死ねアカデミズム

 今年はブリュッセルのアルスムジカに足繁く通う予定だったのに、結局忙し+精神的肉体的疲労で一度も行けず・・今のところ。

 そんな今日はFlageyでアルディッティの弾くシャリーノの新作とか望月みさとさんの曲とかあったんだけど、疲労といろんな準備でPass。で昨日はアンサンブルモデルンのライヒトリプルカルテットとかアダムスとかあったんだけどこれも行けず。ライヒイヴニングは見事に全日完売であったのと多忙も重なり行けずに完。

 今日室内楽の試演会でウェーベルンの4つの小品を弾いたんだけどかなり適当だった。。適当な演奏だったことは自戒するんだけど。

聴衆冷てー。ヴァイオリンの学生とか、「あんなの分かんないんだからナニ弾いたっていいんじゃん」とか言い、アシスタントのヴァイオリンのヒトもかなり冷たい。俺の顔すら見ない。完全無視。

 この世で一番キライなものの一つはヴァイオリニストです。といっても過言じゃないです。
なかには人間的にもいいヴァイオリニストはいるけど、100人いたら80人のヴァイオリニストは人格破綻気味っつってもいいんじゃないかね。


 冷徹な。退屈な。神経質な。偏狭な。高慢な。そんなヴァイオリニストにばかり会いすぎてもう正直いやだね。もし生まれ変わるならぜひチェロを学びたい。


 そんなヴァイオリニストが聴いている中で演奏するのももうたくさんだ。
どうせなに弾いたってくだらないところしか聞いてないし。

チューバの、ギターの、ドラムの世界に入ってたらもっと融和なんじゃないかとか思うけど、でも結局それはアカデミズムの問題かもしれない。


 くたばれアカデミズム。アカデミズムがなにを産み出す!!

 俺はもうこの2年学校で勉強したら学校とはおさらばだ。少なくとも退屈なヴァイオリニストがうじゃうじゃする寒気のするような「学校」へは二度と顔向けしたくない。

2007-03-14

所感

 これからの時代は、家庭裏庭菜園、自給自足の時代に突入していくと思ってるんですが、音楽も自分で自分が豊かな生活を送るのに良いな、と思える曲を、自分で見つけて、もしくは自分で作って楽しむ時代にどんどんなってっていいと思います。


 なので、普段なにげなくくつろぐ時間に流す曲が、ナンカロウの自動ピアノのための練習曲のアンサンブル編曲版だったりとかしていいと思う。ゆったりとしたタイプのほうの。


 要するに社会通念に圧制された既製品ばかりに生活を依存させないで、なんでもいちど社会通念をはずしてフリーな目でものをながめて、そこで一番自分に必要なものをとっていくやり方、というか。


 たとえば世界が核戦争とかになって、全人類の3分の2が地球上から消え去り、経済なんていうものはあってないようなカスになって、政治も産業ももはや個人にはなんの影響もなさないような世界になったら、いよいよ人間はほんとに孤独になって、偉かったはずの大学教授もただのヒト、すごかったはずの作曲家もただの中年のおじさん、がみんな全裸な状態で地上に残されたとしたら、それまで一番かがやいて見えたものの価値観が一気に160度ぐらい覆る。

 一番眩しかったのは、あの憧れの大学の先生でもなく、偉いコンサートマスターの地位でもなく、すごい芸能人でもない、庭にたった一厘咲いているタンポポかもしれない・・いや、ただのシダの葉にすぎないかもしれない。


 今は見えないかもしれないこの社会通念のフィルターに目が曇らされていると、自分の一番大事なものは庭のタンポポ、なんていう人はだいたい「世界が小さい」とか「取るに足らないローカルなやつ」、という目で見られるかもしれないけど、幻想たる社会通念が一つでも間違って転んでしまいでもすれば、最後まで豊かな生活を送れるのはタンポポ組なはずだろうなと思う。



 ローカルでなぜいけない?

 音楽のそもそもの意味って?

 そういう良く分からない問とかいうのは、完全に世界の産業が破滅したときに、ものすごいクリアになって見えてくるんだろうな。


 裏庭で作ったキャベツ。裏庭で育てた合鴨。裏庭で育てたタバコの葉。自分でこしらえた夕方のくつろぎ時間のための曲。それで自分たちが満ち足りるだけの生活。音楽にそれ以上の意味があるんだろうか。


 「日本の未来は、明るい破滅」という司馬遼太郎の言葉はいつまでも心に響きますが、スローライフとか余裕なことを言っている暇もなく、現実としてスローライフがやってくるとしたら、それを受け入れるまで。


 日本は世界にさきがけて「社会」を猛烈に発展させたから、こんどは世界にさきがけて意味ある崩壊を迎えたらいいなあ。


 東京の大地震も近いだろうし、いろいろと、破滅要因は準備されてる感じがします。


 いつまでも つづくと思うな この生活

2007-03-09

メモ

 オケの練習のあいまに。。

 明日ブリュッセルのモネ劇場で本番です。

 いやーー・・オケってやっぱ楽しい・・?!
半分キツイ、半分楽しい、の感じで総体的に楽しい。でももう5日も同じ曲練習しててさすがに飽きてきた。

 さらにこれといってやりがいのある曲もなく。

 プロコフィエフのピアノコンチェルト1番とマーラーの交響曲6番の3楽章(?)が一番心に残ります。


 

2007-03-06

ゼロ地点から

 なにか、特になにが不調というわけでも、悩みがあるわけでもないんだけど、イマイチすっきりとアゲアゲにならない今日このごろです。

 おもしろいと思えるはずのものがあんまり面白く思えなかったり。けっこうどうでもいいモードでなにやっても夢中にならない。


 でも意外とそういうときのほうが気持ちが安定しているような気もし、割とベーシックラインなのではないかという感じもする。


 難しいことを考える気力もおきず。

 とりあえず今一番やりたいことといえば温泉とか行きてえ。


 しかし今みたいにこうやってヨーロッパでオケをやったり、室内楽をやったりしているのはなんだかんだいって日本に帰ったらけっこう輝かしい青春の一ページに残るのだろうなあ、とか思ったりしている。



 今年の3月はあったかいわ・・去年の3月はブルブルに震えていたのに、今日雨が降った地面からしてくるにおいは、もう完全に春の土の匂いだった。

2007-03-04

展望

 最近はなんか文章が暗くてイマイチすっきりしない感じがします。

 生活もなんかいまいちすっきりしない感じで。

 だいたい毎年2月あたりは一番精神的にドヨンと垂れ込める時期なんだけど、そういえばもう3月だった・・


 疲れているのかな。恐らくは。

 ステファン・ウォルプという人の室内楽曲に取り組みはじめました。
よく知らなくて、調べてみたらドイツの半近代現代作曲家ですね。
作風は、まだスコアを見せてもらってないんだけど、音的にはかなりユン・イサンぽい。

 ピアノ、B管クラ、バスクラ、ヴァイオリン、の曲。


 今日はクリストフの家でベートーヴェンの合わせをした後、こんどやる予定になっている日本伝統音楽の講義の企画の相談。

 講義は5月の予定なんだけど、プレゼンテーション的に今月の17日に尺八を演奏することになりました。
しかも、教会、っていうか、聖堂!・・

 彼の提案で、オルガンのある場所、つまり聴衆からすると後ろ上方のバルコニーになっているところ、で演奏することになりそうです。すごいね。このシチュエーション。虚無僧もびっくりだよ。


 で、今日もいろいろと日本音楽の歴史とかについて説明してきた。
自然、西洋音楽と対比させながら説明しないとならないんだけど、そうするとけっこうこっちも新鮮に日本音楽史が見えてきて面白い。

 琵琶法師だとか虚無僧を、中世ヨーロッパの吟遊詩人とかトゥルヴァドゥーラと重ねて説明したりとか、まあもちろん無理もあるんですけど。

それぞれの大衆音楽と宗教音楽のあり方とか、グレゴリオ聖歌と声明とか・・

 なんで西洋楽器は発展したのに日本の伝統楽器はむしろそぎ落とす方向に向かったか・・などなど、二人で話しながらもお互い発見の連続。

 
 シルクロードの東の果てで営まれた日本の音楽と、西の果てで発展した西洋音楽を対比させながら講義するというのは、かなり面白そうだと思ってます。


 これからも5月の講義に向けてお互い資料収集しながらやってく予定です。ネットは便利・・

2007-03-03

土人の蛮行

 昨日は友達に誕生日を祝ってもらってしまった。

 ほんとにね。祝ってくれる人がいるっていうのって、なんていうか泣きそうにありがたい。
 家族は電話してきてくれるし。

 友達は料理も全部つくってくれ、ケーキも揃えてくれ・・

 こういう周りの存在のありがたみを糧に、まだ辛いことも乗り越えていこうと思える所存です。


 そして、ついに始まったオーケストラ。
今週1週間朝から晩まで練習漬けで、土曜にブリュッセルのモネ劇場で、来週リエージュで、再来週フランスのルーアンに演奏しに行きます。

 とても大雑把な人たちがたくさんいるんでけっこう辛いんですが。

 それよりも
弓順とか問題点が出るとすぐにみんな騒然としだして収集付かない感じで荒れだすのが、あまりに毎回毎回なんでイライラ通り越して可愛くなってくるような。

 なんか昔のフランドル派とかの絵画に出てくるような農民が我先にと騒動の渦中に頭をもたげ出してるみたいな光景。
西洋にも「農民」ぽい風情ってあるんだよね。

 ニホンの農民っぽい風情の代表格といえば、個人的には迷わず「宴会」「新歓」とかの飲み会の類だと思うんですけど、西洋のそれはまたぜんぜん違って面白い。

 どちらにしても「騒」とか「駄」って感じが似会うのは共通なんだけど。

 私は、けっこうこの農民ぽさは好きです。

 ニホンの場合の農民ぽさというとすぐ思いつくのは「車座」とか「いろり」とか。
黒澤映画に出てくる農民の味わいは最高だなあ。

「おうおうおう!!おめぇんとこの土塀とんでもねえ安普請だなおい!」
「当人が良いっつてんだからそれでいいじゃねえか!」
とか

俺もこんなこと書いてないで、農民の中に入らないとだめなんだよね。なにを貴族ぶってんだよ、と。


結局先住民族をみて「土人の蛮行」とか言って見ているうちはまだまだケツが青い。