休日を楽しんでます。といいたいところですけど、ひたすら休むに徹し。
自転車をこっちに来たときに買おうかどうかそうとう迷ったんだけど、やっぱ買っておけばよかったかなあ。自転車で川沿いにどこまで行けるかやってみたかったです。一応、オランダのロッテルダムまで行けるはずです。それから北海。
禅問答に、「両手の鳴る音は知る、では片手の鳴る音とはいかに?」という”隻手の音声”という公案がありますが、答えられますかね?
ちょっと考えたけどね、ぜったいわかんねえ。
鳴る、も鳴らない、も同じなんだな、とか
鳴ってる、とか鳴らないと自分で区別してるだけだ、とか
心の中で隻手の音声が鳴ってる・・とか、
どれも誰でも思いつきそうなことで。
とりあえず今は、「片手の鳴る音は知らない、と知る」ぐらいの程度でしか答えられないかなと。
要するにこれは、人間の執着に対しての挑戦的な問いなんですね。そして、この問いに対して苦心に苦心を重ねた自分が瓦解した瞬間が、この公案の答えというか。
そういうことって多いっす。
つまりこういうことを書いている時点で、全然修行が足りないわけです。そして修行が足りないということを書いている時点でも、修行が足りないわけです。そして修行が足りないと書いていることが修行が足りない、と書いている時点でも、修行が足りないわけです。そして修行が足りないと書いていることが修行が足りない、と書いている時点で修行が足りない、と書いている時点で、修行が足りないわけです。そして修行が足りない、と書いている時点で修行が足りない、と書いている時点で修行が足りない、と書いている時点で修行が足りないわけです。そして修行が足りない、と書いている時点で修行が足りない、と書いている時点で修行が足りない、と書いている時点で修行が足りない、と書いている時点で修行が足りない、と書いている時点で、修行が足りないわけd

2 件のコメント:
こんばんわ。しばです。
広告ってなんだか策略を感じますよね。
修行なんて終わってみてから、
自分が成長した点に気づくんじゃないですか?
残念な事に、いつでも人間は後に気づく。
というような気がします。
修行足りてると思いますよ♪
こんばんわ。
なかなか良い事おっしゃいますね。
そう、人間はいつも後から気づくから、自由なんだとも思います。
広告ってのは、気づくと挿入されててイラだちます。
7月さ、中旬以降が良い感じ。
コメントを投稿