今日はクリストフ氏に連れられて午前中リエージュ観光でした笑
普通には入れない聖堂へ連れて行ってもらい。
彼は前ここでオルガン弾くバイトしていたらしいのでそのツテで。
「彼はもうすぐ日本に帰るからこの教会を紹介してあげるんだよ」
と、顔を出してきた牧師に俺を紹介してくれたの聴いて、そうか、もうすぐ帰るのか・・
と妙にこの街がいとおしくなってしまった・・
この教会の一番上の部分からは、リエージュの街が素晴らしく一望できる。
観光客も誰も来ない地元のごく限られた人たちの場所からみるこの展望はそもそも非常にありがたくて、なんかいつもと街の印象も違ってみえた。
そのあと彼の家でチッサイ子達と昼飯をゴチソウになって、家に帰ってからメディアテックにCDを返しにいき。
新たに借りてきた。
クセナキス3枚と
ナンカロウ
フェルドマン2枚
ライヒ
って書くと魚屋で切り身買ってきたみたいだけど。
初めの一枚クセナキスの室内楽のアルバムをちょっと聴いてみて、
さっそくまた名曲を発見。
さっそくまた名曲を発見。
チェンバロと打楽器のためのOophaa(1989)
最高です。
これは完璧にポップと言って良いんじゃないでしょうか。土俗ポップと。
チェンバロとかときおり8ビットゲーム機の気楽な調べに聴こえる・・打楽器の妖怪キャラクターも完全。
チェンバロって楽器は、個人的にかなり偏った権威的な響きに聴こえて、それで演奏されるバッハなんてほんとに西洋趣味の鼻につくエラさを感じるんだけど、そんなオトナな楽器オーラをなんの意にも介さず自然体にランデヴーしているクセナキスの姿勢に感動。
そんな姿勢の前には、気取った貴婦人も犬のクソを踏んで乞食に一発ヤられちゃってるぐらい滑稽な愛着をかもしだしているチェンバロの姿。
前にも書いたように、クセナキスは独自の表現へのプロセス、をある時期に徹底して完成させたことで、そのしっかりと塗り固められたまさしく土俵の上で、あとは思うがままに音楽を表出させていったけど、個人的にはいま演奏、とくに即興演奏に対する一つのシステムに興味がある。
いや、最終的にはシステムに依らない次元にあるべきだけど、その突破口としてやっぱり一度知ってみる必要があるんじゃないかと思う。
普通の人が即興やれ、と言われたって、いったいなんの事かさっぱりわからないし、だいたい音楽家でさえいきなり即興やれ、というあまりにも漠然としすぎた提案ってのは逆に視野を狭くする。
ものごとって、徹底的に還元された実質があることによって、シンプルさを持って、逆にいくらでもマキシマムへ向かっていくことができるはず。
例えばヴァイオリンは「演奏している」、という抽象的な事実の中に、「弓が弦をこすり、弦が振動する」という決定的な事実があることによって、一番初めのインパクトが生まれるわけで、その単純な事実によって常にまわりの物事が自由気ままに掴まれている。
そのシンプルな実質があることで、ものごとは対象にもなれるし、主観、客観にもなれるわけで、そこから大きな発展が期待できる余地が生まれる
この「余地が生まれる」ってところが大事で、決して「発展」そのものを目指さないほうがいい。
余地を待つ。余地は勝手に展開していくし、展開していかないこともある。
そういう「対象」になりえる実質を迎えていないと、物事って一貫して自滅に向かっていく傾向にあるような気がします。
親戚の結婚式だとか、宗教的な儀式、村の祭りっていう対象があってこそ集団的な音楽は付いてまわったわけで、意味も無く、聴く人もいない部屋の中でただただ自分一人で弾き続ける音楽の歴史というのはありえなかった。
音楽っていうものがもっと今の普通の人たちにとって当然なものになるためには、やっぱりこの、現代の意識とシステムに張り巡らされた認識の網目をくぐり抜ける必要がある訳で、そのためには同じくシステムを使って乗り越えるのも一つかなと今は思う。
毒には毒をもって解毒する、みたいな。

2 件のコメント:
チェンバロの描写が面白い!
私の中でのチェンバロは、やっぱり気高くて
おごそかなものものしい雰囲気をもっている
楽器なので、打楽器との曲ではじけている
チェンバロのイメージが想像できません。
そういう意外性を持った音楽がもっと
宣伝されれば、クラシックも身近に感じられる
ような音楽になるのかなあ。
クラシックに限らず、どの音楽でもそうだけど、
一部の人がすごく好きで、でも大多数の人は
あまり興味を持っていないことが多いと思う。
でも、だからといって自分たちのルーツになる
音楽を一般的に潜在意識において守っている
わけでもないし。
難しい環境ですね。
書き込みありがとう。
そうですね。。
クセナキスもそうだけど、現代音楽と一言でいっても、まさに作曲家のぶんだけ音楽が違ってて、なかには「こんな音楽も、この世にはあったのか・・」と思わずにはいられない音楽家もたくさんいるから、そういうのが分け隔てなく聴かれるようになったら、もっと音楽も豊かになるかなあと思います。
それにクラシックに限らず、音楽を特別にお金払って聴くもの、コンサートホールやイベント会場でしかありえないもの、っていう感覚もなんとかもう少し柔軟にしたいですよね。
その点、カラオケってまだ良い線いってるなと思うんだけど、歌ってる人以外聴いてない、ってのが致命的だと思う笑
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